BOSSの独り言3

Big Island & Argos Entertainment社長の独り言

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

新宿Teen Age Dream

今日は、新宿西口で古宮社長とランチ。

次の打ち合わせまで空き時間が出来たので、歌舞伎町をブラリ(笑)
shinjuku.jpg
懐かしいビルをパチリ。

コマ劇場斜め向かいの小島屋ビル。

俺が18歳で上京した翌日、バイトの貼紙を見て飛び込んだビル。
当時は、BF&1F&2Fが喫茶店、3Fがレストラン、4Fがパブ。
すべて、小島屋乳業の直営店だった。
今は、テナントとして貸してるようだ。

「食事付」に惹かれてバイトを始めた。
時給は・・・確か・・・450円~だったかなぁ?

夕方の4時頃だったと思う。
店に入るなり、目に付いた男性に・・・
「あの~バイトの貼紙見たんですけど・・・」

「あ、そう。じゃあ、着いて来て」

すぐさま面接。
俺としては、話を訊いて、後日、面接を受けるつもりだった。
履歴書も何も持ってない(笑)

「学生?何やってんの?」
「昨日、上京してきて・・・バンドやりたいんです・・・」
「そう、うちのバイト、ミュージシャンや役者志望多いよ」
「そうなんですか・・・」
「この紙に名前書いて。じゃあ、今日からやるか!」
「はぁ?」
「3Fのレストランが良いな。じゃあ、着いて来て。」
「あの~・・・・」

BFの暗い、誰も居ない和風の喫茶店で5分足らずの面接。
そのまま、屋上の事務所&休憩室に連れて行かれ・・・
ボーイの格好をさせられ・・・
いきなり3Fのレストランのホールに立たされた(笑)

「草場さん、今日からバイトする池永君、色々指導してやって」

どうやら、ホールのチーフらしき草場さんが、色々と話しかけてきた。
俺の面接をした人は、気づいたらいなかった(笑)

いきなりメニューを渡されて、隅のテーブルで覚えろと・・・
腹を括って、メニューを覚えてたら、さっきの面接の人が帰ってきた。

3Fの店長で、このビルの副支配人の辺見さん。

「これ、池永君のタイムカードね。今日は、もう上がっていいよ」

「あの~まだ、一時間くらいしか働いてないんですけど・・・」

「遅番来たし、今日は、暇だし、飲みに行くか?」

「はぁ?」

辺見さんに連れられ・・・新宿の飲み屋をハシゴ。
勿論、俺は未成年。
そんなのお構いなしに、飲まされた。
歌舞伎町→ゴールデン街→二丁目。
黄金のコースを初日で制覇(笑)

朝方・・・
「店で寝てくか?」

「は、はい・・・」

で、3Fのレストランのソファーで爆睡。

朝9時半、叩き起こされ、半日バイトして帰った(笑)

その日から、俺の歌舞伎町バイト生活が始まった。

今、思えば・・・何てアバウトな採用なんだ(笑)
後で知ったのだが・・・
当時の新宿は、訳ありの人達が、多かった。
過去を隠して、棄てて、新宿で働く人が多かった。
採用しても、フラッと来なくなる人が多かったと。
履歴書も、嘘デタラメが書いてあったりね(笑)
ましてや、貼紙見て、直ぐ働きたいと言う奴は、特に、怪しいと。

後日、辺見さんに言われた。
どうせ、家出でもして来て、金と飯に困って、飛び込んで来たのかなと。

実際、そんな若者が、毎日のように来てた。
一日、二日、働いてドロン(笑)

俺は、真面目に働いた。
直ぐにレジ締めや、伝票整理、帳簿も任された。

その時も、辺見さんに言われた・・・
「あまりやりすぎないで、適当にしとけよ。バレない程度な」

そう、適当に抜いちゃって良いですよ、の意味(笑)

酷い時は、バイトがドロンと共に、ビルの売上もドロン(笑)

約一年、続けた。
沢山のバイト達と出会い別れた。
系列店(都内に20店舗くらあった)でバイトしてるバンド仲間も増えた。
一人が、バイトを始めると芋ズル式に、仲間がバイトを始める。
俺関係でも、5人が小島屋グループでバイトを始めた。

今日は、ふとあの頃を思い出した。

夕方から、新宿で音楽出版社主催の飲み会に参加。
流石に朝までの元気はなく・・・早々に退散してきた(笑)
スポンサーサイト
  1. 2006/12/08(金) 23:59:59|
  2. BOSSの過去系

辞める時の為に

休日をのんびりと過ごす。
平日のTV番組を眺めるのも久し振り。
って、日曜もイベント等多いので、ほとんど観ないが(笑)

作家時代は、毎日が休日だった。
正確には、暦は関係ない、自宅作業の個人事業主。

主婦が観るであろう番組を良く観てた(笑)

打ち合わせがない日は、午後から近所のパトロール。
行きつけの喫茶店で珈琲を飲んで、本屋でプラプラ、パチンコ屋へ(笑)
パチンコ屋で、顔見知りも多く出来た。
お互いに何やってる人だろう?と、思ってたに違いない。
俺も、色々と勝手に想像してた(笑)

若い頃は、時間は無限にあると思ってた。
まぁ、若い内から、未来の残時間を気にして生きる方が、気色悪いが(笑)

いつ頃からだろう・・・
人生の残時間を気にし始めたのは?

多分、30代に突入した頃だった気がする。

勿論、今の歳で感じるようなリアルな「あと何年頑張れるのかな?」じゃなくて、
「やべ~やり切ってないない内に、歳取っちまう」と思ったんだよね。

若気の至り、じゃないが、若さゆえで許されるのは、あと少しと。
そして「いつかやろう~」と呑気に考えてた事をやっとかなきゃ、やるタイミングないかもってね。

元々、興味ある事には、首も突っ込んでたし、それなりに知識も蓄えてた。
そして、やれば、何だってどうにか出来る勝手な自負もあった(笑)

が、それは、妄想で、机上の空論なんだと思った。
色々な事が、何となく理解出来て、そこそこ出来る「作詞家」だった。
あくまでも、作詞家の責任の範疇でしかなかった。
勿論、仕事って意味においてね。
アマチュアとしては、ライヴの仕切りや、色々な事を自ら挙手してやったりはしてた。
その延長線上で、プロの現場でも、意見を出すけど、責任はない立場。
そう、宣伝会議などで、能書き垂れるが、あくまでも責任のない作詞家。
レコーディングの現場を仕切るが、あくまでも責任者ではない作詞家。

逆に言うと、良く仕切らせて貰えたと思う。
担当ディレクターがいるのに・・・
「俺が進めた方が、良い物創れますから」なんて生意気言ってた。
売れた、売れなかったの責任は、担当ディレクター。

19年前、思い切って友人の作曲家とプロダクションを始めてみた。
18歳の女性シンガーをデビューさせようと目論んでね。
そこから、総てのリスクを自分達が背負ってやってみる事にトライした。
いや~勉強の連続だったよ(笑)
今までの、責任のない発言が・・・総て跳ね返ってくる。

レコード会社も、今までは、仕事を貰う先だったのだが、対峙する先に変わった。
自社のアーチストをいかにプライオリティー高く売って貰えるか?
約一年で、無事にメジャーデビューに漕ぎ付けた。
タイアップやら、プロモーションやら、版権の切り売りやら・・・
解ってたつもりの机上の知識が、実践において問われたって訳だ(笑)

最初のメーカーでアルバム2枚、シングル3枚。
2年後、他メーカーに移籍、と同時にレーベルも立ち上げた。
移籍後、アルバム2枚と、シングル3枚まで係った。
彼女は、その後も、移籍しながら、地道にリリースしながら活動してる。

あの頃が、凄く良い経験になってると思う。

今日、オーディオ周りの整理をしてて、当時のカセットテープを見つけた。

やりたい事やって、満足できたら・・・
いつでも辞められるし、後悔はしない・・・

そう、スパッと辞める為に、やり残さない。

やり残して、後ろ髪引かれるのだけは勘弁だ。

そう思った頃の歌が、ラジカセから聴こえてきた。

別に、今、辞める気になってる話じゃないよ(笑)
自分なりに十分、やりきった感はあるから、今、辞めても後悔はない。
が、もう暫く頑張るさ。
自分は、少なからず、色んな事を経験・体験・体感出来たと思ってる。
大した事はない自分史でも、少しは次世代に、リレー出来る事があるんじゃないかと。
そのトライアルは、暫く楽しそうだからね。
  1. 2006/11/23(木) 23:59:59|
  2. BOSSの過去系

カレンダー

01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -

プロフィール

BOSS@康記

Author:BOSS@康記
<池永康記>
山口県出身、12.7生、O型
バンドのベーシストとして上京。
バンドの夢破れ作詞家に転身。
松崎しげる、柳ジョージ、
世良公則、織田裕二、小野正利、
class、井上武英、MITSUO、
河内淳一、長与千種、等
10年間で、300曲余りを提供。
94年~アサヒスーパードライCM
プロデュースを切っ掛けに・・・
マルチプロデューサーに転身。
独自のプロデュースワークは・・・
唯一無二の変な手法との噂(笑)
近年、作詞家復活の兆し・・・
㈱Big Island
Argos Entertainment㈱
代表取締役らしい・・・(笑)


最近の記事

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー

月別アーカイブ

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。